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花が咲き

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大勢の人と会って、適材適所、人材を多方面から集め、コーディネイトする人もいる。
ヒト?コトをひきあわせ、化学変化を起こし、ものごとをプロデュースする人もいる。
自然な流れを生み出し、商品化されたり、いろ鑽石水んな社会現象を引き起こすこともある。
偶然が、必然を呼び起こすこともある。

???

で、子育てとはまた違う話だが、
私の場合は、「目的が群れることで、たんに群れるだけ」、という行動はしない。
群れなくても、1対1であっても、時間が制限される限り、「会って、わーわーだけ」は淘汰される。
時には、わーわーも必要だが、チョイスする。

ま、どっちでもいいのだが。
それぞれ、好き好き、それぞれの道。
好きなほうを選んで、好きな行動をすればいい。
自分と他の人は、違うなあ、と、違いがわかるだけでも、自分を再認識、再確認できる。
同じでなくても、意味がある。


ただ、
お互いがお互いの違いを、認め合えたらいいと思うのだが、
グループ(群れ)化して対抗するのは、いa style="color:#333333; text-decoration:none;" href="http://www.hhp.com.hk/bone.html">骨傷かがなるものか。
グループでなく、個人でも、だ。
自分の考えが正しくて、人の考えを認めないタイプがいるので、それが困りもの。
なぜ自分が正しいと思うのか、よくわからない。
そういう人は、人を認めざるを得ない場合は、「負けた」と感じるようで、悔しい、屈辱感が付きまとうようだ。
こういうのを「勝気な性質」というのだろう。
どうしても、受け入れられないなら、「平行線」という考えもできると思うのだが。
五分五分、引き分けパターン。

が、「勝気な性質」は、あるほうが良い場面も多々ある。
なければならない場合も、多々ある。
わたしには、それがないので、なにごとも大成しない。
一長一短である。

しかしながら、
勝ち負けをハッキリつけて、いいことがあるのだろうか?
勝ったほうは、優越感にみちみちあふれ、負けたほうは、敗北感に苛まれる。
だが、「よおし、こんどこそ」、と、やる気にもつながるから、
勝ち負けがの場合、良い面もある。

「どおぞ、お先に」と席を譲っていたら、どんどんどんどん後から後から人が来て、
一向に自分は、進めない。永久に進めない。
それって、ひょっとして、たんなる馬鹿かも知れない。
慈善家で、家を潰した、破産した、なんてことになりかねない。
おぼっちゃま、おじょうちゃまの、成れの果て。笑うに笑えない。

日本人は、チャリティ精神が根付いていないのかも知れない。
わたしだけが、セコイのかも?
(このハナシの流れ、あきらかに脱線)

「負けて勝つ」、なんて、ややこしいことを言う人もいる。
負け惜しみか、人生達観か、仙人か。
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