で、はじまる「早春賦(そうしゅんふ)」は、
まさに、この季節を歌ったもの。
1913年(大正2年)に発表され学校唱歌になったり、
何度か「みんなのうた」にも取り上げられたので、
聞き覚えのある人
老年黃斑病變も多い。
一節だけを紹介すると、
「♬春は名のみの 風の寒さや~
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど~
時にあらず~と 声も立~てず~
時にあらず~と 声も立~てず」
素晴らしい詩だと感動する人がいるが、
文語調の、この詩を簡単に現代語に要約すると、
「春とは言うけれど名ばかりで風は冷たい。
ウグイスの歌声は?と聞き耳を立ててみるが、
まだ春になっていないと言って鳴き声はたてていない。」
とい
雪纖瘦う、
春を何にも書き表わしていない詩のようになる。
この歌詞の三番まで歌っても、春の情景は一切、出て来ずに、
冬の情景ばかりが描かれている。
(どこが春の歌やねん?)
この『早春賦』の「賦」の文字は、
「サイの発見」で知られる漢字学者の白川静氏によると、
描写的に数え上げるように歌っていくものを意味し、
そして、歌い上げることによって霊的交流する力が生まれ、
病気が治るとされるものだという。
快癒の効果があるかどうかは知らないが、癒し系の歌であるのは間違いない。
また、白川静氏の説によると、
『存在』という漢
雪纖瘦字は、
「神によって祝福されたもの、浄められたもの」という
意味が込められているという。
「存在する」ことは、「祝福されている」ということ。
これは、ありがたい、、。