分で、自分の過去の記事を読んで、癒された。
ジャンルは、「展覧」と「思い出」。
今では、もう書かない、いや、書けないだろう。
特に「展覧」は、最近、あまり行か
nuskin如新ないし、感動しても、ブログに書かない。
ブログに書こうと思うと、名前や事実を間違わないないように、ちゃんときっちり調べなくてはならない。
感性だけで書くわけにはいかない。
なので、そういうプラスアルファの余分なエネルギーが、ここのところ激減している。
自分だけ楽しめたらよい。その場だけで、昇華。
そう思うに至った経過としては、
人に知らせようと頑張ったところで、さして読んでくださる人も減少したので、
ブログに対するモチベーションが、すっかりなくなっている。
何年か前は、一生懸命、熱心に書いている。
自分でも、あのころは、力が入っていたな
nuskin如新あと、懐かしいぐらいだ。
なにを伝えようとしていたのか。
今、思えば、記事の内容はさておき、自分という人間を第三者に知ってほしかったのだろう。
自分は、受け入れられたのか、受け入れられていないのか。
コメントは、ごく稀にいただくが、コメントが無
nuskin如新いほうが、私としては安らかな気持ちだ。
わたしの毒舌に反応され、「コメント=苦情」といった構図が出来上がりつつあるので。
読んでくださる人数は、減ったものの、だからといって、わたしは、わたしであって、中身は変わっていない。
郷里の田舎で幼い頃、育ち、幼稚園からは、街と田舎で同時に暮らし、
二極分裂、同時進行の基礎がそこにある、と、自分で分析している。
田舎と街。
ガチガチに古い慣習と、流動性のある住民による、合理的な暮らし。
田舎は人が少なく、人の出入りがほとんどないので、競争が少ない。
よほどのことがない限り、どのイエも、アップダウンがなく、同じレベルで推移。
街は、一発屋あり、成金あり。
失敗しても、住まいを移すので、いつまでも人々の生活には影響しない。